せめて後悔しないように

伊福部昭ゴジラの音楽を担当したのは、彼自身が戦時中に北海道で被爆しており、劇中でゴジラの被害にあった人がガイガーカウンターを当てられるシーンを見て他人事と思えなかったからという話を聞いたことがあります。「わけの分からんゲテモノ映画に参加するなんてやめろ、仕事なくなるぞ」という声が圧倒的だったにもかかわらず、彼はあらゆる技術を使ってゴジラの音楽を作り出しました。他の作曲者がみな辞退する中、「そんな大きな生き物に、どんな音をつければいいんだろう」と真剣に考え始めた彼を見て、監督の本多猪四郎は「音楽はこの人にすべて任せよう」と決めたそうです。

本多監督はシベリア抑留の経験を持ち、特技監督円谷英二(当時まだ特技監督というポジションはありませんでしたが)は軍部依頼の特撮映像を作ったために公職追放処分となっており、あの映画にかかわった人たちはやはり、何からの形で戦争の傷を負っていたのだと思います。そうしたものが「水爆大怪獣」ゴジラにさまざまに反映されていると考えていいでしょう。三島由紀夫が「文明批判の力のある映画だ」と評したといいますが、なるほどそういう力を持っていたとしても不思議ではない。

ゴジラは昭和という時代を映し続け、やがて子供の味方になり、その後復活はしたものの、ついにシリーズは完結しました。55年体制成立前年の1954年に始まったゴジラが、安倍首相が「戦後レジームからの脱却」を掲げる2006年の2年前に終了するというのは不思議な感じがします。そして戦争は遠い記憶の彼方に去り、元号も変わり、戦争を知らない世代がこの国の人口の大半を占めるようになった今、まさか国内で被爆者が出るとは夢にも思わなかった。独立国でありながら「戦力」を持たず、交戦権を放棄し、核武装を否定する国に生まれたことを僕は幸運なことだと思っていました。それがまさか、です。自らの不明を恥じるしかない。
自分自身がIT関連の仕事をしているので、最低限の電気がないと生活していけないという意見はよく分かります。それでもやはり、後悔の念が消えません。何かやりようがなかったのか。何か原子力以外の方法がなかったのか。自分の父や母は1940年代後半に生まれて、戦後社会に育ってきた最初の世代です。彼らは実によく教育され、働いてきた人たちです。バブル期の日本の繁栄を一手にしょってきた人たちです。彼らが働いたその果てにこの被爆があったのか、日本のこのような現状があったのか、と思うと、なんともいえない気持ちになります。

放射能は目に見えません。津波の被害の方がよほどはっきりしているし、感情移入もしやすい。だから明日も、僕は普通に仕事にいって、普通に生活するでしょう。ただ、心のどこかで「もう終わりかも知らんね」とつぶやいている自分がいる。それでも不思議と逃げる気がしない。抵抗する気もない。もう受け入れるしかないかな、と考えている。だから、せめて後悔しないように。伝えるべきことは残さず伝える、やるべきことは残さずやる、今日からそうしていきたいと、せめてそれくらいはと、そう思います。